違うだろう。
取り返しのつかないことをしたならば、何もかも何をやっても無駄でしかない。
悲嘆を持ち続けることを嫌ってはならず、常に苦しんでこそ、償えないからこそ、被害者は満足できるんじゃないのか。
自分勝手に『もうおしまい』とは言えない、罪とは常に向き合い、終わることない罪滅ぼしは死ぬまで続けるべきであり。
――渉にとっては、『生きることを楽しまないこと』こそが、唯一の生き方なのに。
「……」
だからそれが詭弁なんだと、破綻しつつある生き方を渉は実感していた。
最初の内は、あの人がああなった時から少なくとも一年はそうして生きてきた。娯楽をせず、学校にも行かず、ただただ無為に時間を過ごしてきたというのに、歯車が狂ったのはやはり“彼女”がいてくれたからか。


