「別に怖くはありません」

 きょとんとした表情で答える小菊に、狐姫は、ふ、と眼を細めた。

「ふふ。全くこの妖幻堂に来る奴は、ほんとに肝っ玉の太い奴らだよ。小太といい、良い度胸してる」

 独り言のように呟いて、狐姫は千之助の頭に置いていた手を、そっと彼の腰に動かした。

「旦さんはねぇ、その昔、武勇の誉れ高き東国武者だったのさ。けど、親兄弟が敵味方に分かれて戦った戦で敗れてねぇ。諸国を流離うこと十五年。都から遠く離れた伊豆で、切腹して果てたのさ」

 小菊は打たれたように、狐姫の手を見ていた。
 千之助の身体を労るように、その手は腰の辺りにある。

「あんたぁ、旦さんの身体を見たことがあるかえ?」

 少し赤くなって、小菊は小さく頷いた。
 夕べ、ちらりと見えた、千之助の身体。
 はっきりとは見なかったが、その下腹部には、横一文字の傷跡があった。

「旦さんの腹にはね、そのときの切腹跡が、今もある」

「待ってください。だって、切腹なんてしたら、生きてられないでしょ? 姐さんだって、さっき『果てた』って言ったじゃないですか」

 身を乗り出して言う小菊は、言いながら、はっとした。
 いつだったか、千之助は自身で『自分は一度死んだ身だ』と言わなかったか。

 普通のヒトでも、えらい目に遭った過去などをそのように言うことはある。
 なので、特に気にならなかった。

 まさか、言葉通りの意味だとは・・・・・・。