「何を甘えておるのじゃ。いい歳のくせに」

 千之助の少し後ろを、足音無く滑ってくる牙呪丸が言う。

『お前に言われたくないわっ! あちきはちゃんと、旦さんの力になれるんだよ。屁の役にも立たないあんたとは、違うんだからね』

「我だって、呶々女の力にはなっておる」

『一人で留守番もろくに出来ないくせに、何が‘力になってる’んだいっ』

「呶々女が待っておれと言うた故、ちゃんと大人しくしておったろうが。旦那の仕事をこなしながら、留守番だって出来ておった」

『旦さんの仕事をこなしただって? あんたはいつでも、言われた最低限のことしかしないじゃないか。そんなんで威張れるとでも、思ってんのかい』

 まるで子供の喧嘩だ。
 己の肩の上と後ろで繰り広げられる、くだらない口喧嘩に、苦笑いしながら薄暗い廊下を進んでいた千之助は、前を行く男が一つの部屋の前で立ち止まったのに気づいた。

『おっと待ちな。小菊はそこにいるのかい?』

 喧嘩をしていても、ちゃんと周りも見ている狐姫が声をかけた。
 男はその声に、びくんと過剰に反応する。

『え? どうなんだよ。とっとと答えな』

 さらにきつくなる狐姫の声に、男はぶるぶると震えながら、がくがくと頷いた。
 以前に、よっぽど恐ろしい目に遭ったらしい。

 今狐姫は狐の姿だから、以前に男が見た狐姫はいないはずだが、声だけでも効力は十分だ。
 姿がないのに仲間の喉笛を食い破ったあの女子の声が聞こえるので、余計に恐れているのかもしれない。