「何言ってんだい。あちきや旦さんが、簡単にやられるわけないだろ? それより、何だって? あんたぁ、誰ぞ言い交わした人がいるのかい」
しばしの沈黙の後、小菊はちら、と顔を覆った指の間から狐姫を見た。
とたた、と狐姫の傍まで走り寄り、小菊はぺたりと狐姫の前に腰を下ろす。
顔が真っ赤だ。
「言い交わした・・・・・・わけではないですけど。あの、幼なじみが・・・・・・」
狐姫の瞳が僅かに細くなった。
「佐吉(さきち)っていう、あたしより五つも上なんですけど。優しくて、頼りがいがあって」
「そんな男のことは覚えてるのに、自分の名は忘れてるのかい」
呆れ気味に、狐姫は大きくため息をつく。
もっとも己の名前を忘れるのは、遊女では珍しいことではない。
わざと忘れるのだ。
一旦置屋に売られた娘は、二度と家に帰ることなどできないのだから。
「面倒見も良かったから、村の娘らにも人気があって。でもある日、あたしのことを好きだって言ってくれたんです。それで、村外れの樫の木の下で落ち合う約束を・・・・・・」
狐姫は黙って聞いていた。
目が光っている。
小菊の話はおかしい。
己の名前も覚えていないのに、やけに佐吉とかいう男のことは覚えている。
それに、そんな約束をするぐらいなら、幼子ではないはずだ。
「あんた、いくつで売られた」
「えっと・・・・・・いつだろう。その約束の日に、突然連れ去られて・・・・・・」
「親に売られたわけじゃないのかい。攫われて、売り飛ばされた口か」
これも珍しいことではない。
しかし、どうも納得いかない。
己に関する記憶が曖昧すぎる。
親に売られたわけではないのなら、親からもらった名前を忘れるなど、あり得ないことだ。
無理して忘れる理由もない。
しばしの沈黙の後、小菊はちら、と顔を覆った指の間から狐姫を見た。
とたた、と狐姫の傍まで走り寄り、小菊はぺたりと狐姫の前に腰を下ろす。
顔が真っ赤だ。
「言い交わした・・・・・・わけではないですけど。あの、幼なじみが・・・・・・」
狐姫の瞳が僅かに細くなった。
「佐吉(さきち)っていう、あたしより五つも上なんですけど。優しくて、頼りがいがあって」
「そんな男のことは覚えてるのに、自分の名は忘れてるのかい」
呆れ気味に、狐姫は大きくため息をつく。
もっとも己の名前を忘れるのは、遊女では珍しいことではない。
わざと忘れるのだ。
一旦置屋に売られた娘は、二度と家に帰ることなどできないのだから。
「面倒見も良かったから、村の娘らにも人気があって。でもある日、あたしのことを好きだって言ってくれたんです。それで、村外れの樫の木の下で落ち合う約束を・・・・・・」
狐姫は黙って聞いていた。
目が光っている。
小菊の話はおかしい。
己の名前も覚えていないのに、やけに佐吉とかいう男のことは覚えている。
それに、そんな約束をするぐらいなら、幼子ではないはずだ。
「あんた、いくつで売られた」
「えっと・・・・・・いつだろう。その約束の日に、突然連れ去られて・・・・・・」
「親に売られたわけじゃないのかい。攫われて、売り飛ばされた口か」
これも珍しいことではない。
しかし、どうも納得いかない。
己に関する記憶が曖昧すぎる。
親に売られたわけではないのなら、親からもらった名前を忘れるなど、あり得ないことだ。
無理して忘れる理由もない。


