「――――父さま、村田呉服屋のご嫡男がいらっしゃいました」
「健造殿か…!入られよ、入られよ」
彼の来訪に上機嫌になった声の宿屋の亭主はガサゴソと何かを片付け始めた。
何だろうと思いながら襖を開けると、そろばんやらが転がっていた。
どうやら、勘定をしていたみたいだ。
「久方ぶりですのぉ、健造殿。お変わりはないか」
墨まで片付けた亭主は座り、健造にも座るように促す。
では、と健造もためらいをちらつかせながら座る。
「いえ、ございませんよ。うちの店もそこそこ繁盛しておりますし」
先ほどとよに見せた笑顔とは明らかに違う。
自分は出来の良い婿だと主張しているような微笑みだ。
そんな健造を怪訝そうにとよは横目で見た。
父はあのわかりやすい笑顔にまんまと騙されている。
父は彼が噂でどのような評判であるかを知らないのだ。
もっとも、父に伝わらないように健造が図っているのだろうが。
健造は家の金を持ち去り、それらをすべて遊廓などに落としているという。
それが確実的な真実とは限らないが、噂というのは目撃者がいて成り立つもの。
余計なものまで付け足されたとしても、だいたいは信用してもよいだろう。


