桜花舞うとき、きみを想う



第一次世界大戦終結による欧州の復興需要の影響で、日本の商社はどんどん発展し、事業を拡大した。

ところが自国での生産力が回復すると、欧州は日本の輸入に頼らずとも立ち行くようになった。

すると、今度は先の事業拡大で負債を抱えた商社に危機が訪れた。

その流れで次々と破綻や合併をする商社があふれる一方、変わらず発展を続けたのが綿工業だ。

父が働いているのは、そんな綿工業に欠かせない原料の綿花や紡績機械の輸入を手がける綿商社だった。

けれど、先行き良好と思われた最中に勃発した太平洋戦争で、商社は軍需優先の時代に突入した。

父が働く商社も例外ではなく、厳しい統制で自由に貿易ができない状況に追い込まれ、国の命令の下、東南アジアでの綿花の栽培を強いられた。



「そんなことは商社の仕事じゃない。お父さんはそれが悔しいと言っていたよ」

停滞してしまった事業を元通りにすることが父たちの願いであり、そのための後継者を育てることが使命だと、父は繰り返しぼくに説いた。

「だからって、あまり根を詰めないでね」

「心配いらない。わかってるよ」

きみは、ぼくのボロボロに使い込まれたノートを心配そうな目で見ていた。