女─桜子は、ふわりと立ち上がると桜の木に寄りかかって、らしくもない言葉を口にする。
「厄介だな。こんな歪な形であれ、私が生きていると知られるのは厄介だ」
「まあ、そうだな。お前は世間から見ればとうの昔に死んでいたはずの人間には違いない。今は、違うが」
「…こんな私を生きていると呼ぶのは、おまえだけだよ」
長い髪に薄紅色の欠片が絡まり、梳きながら払ってやると甘えるように桜子は目を細める。
「人間でもない、老いも死にもしない私を、おまえはまだ愛してくれるという。裏切っても、おまえを酷く辱めても、…おまえは、私を好いてくれていた」
いつの話を、しているんだが。
「『おまえ』『おまえ』とやかましいわ」
撫でていた頭を軽く小突くといたずらっぽくくつくつ、小さな肩を揺らして笑われた。
「拗ねるな。白狐」
「拗ねてなど」
「拗ねている。まるで子どものそれだ」
…なんの問答だこれは。このやりとり、する意味があるのか。
色素の薄い手のひらが宥めるように髪や顔を好き勝手なで回し、振り払いたかったがそんなことできるはずもなく。
「ともかく…私はこの場所から動けない。だが、すこし力を振るえば外の景色を見ることはできる。そして、その対象の未来も占うこともできる」
「あぁ」
「自由に動けない私に代わっておまえ─白狐は、私の言った通りに行動をする。そうすれば、何も手を打たないよりは幾分ましな未来へと変わるはずだ」
そう。これこそが、彼女の目的。
人の身も、何もかもを捨て去った彼女に残ったのは悠久の命と持て余した時間。それから、人の頃から有していた神通力。
これを生かさなくてどうしようか。
そもそも桜子はこれこそが目的だった。
忘れもしない─これを成すため自分は生まれてきたのだと、初めて会った時に…生まれたばかりの私に告げた。
なんという女だろうか。
すべてを後回しに、自分を蔑ろにするといった点では桜子と杏子はよく似ている。
だがそれでは困るのだ。
18にも満たない子どもが命を投げ出してこの町を守る、そうして誰もが涙して悲しみに暮れて不在の杏子を想う。それではまるで愛する夫のために命をなげうった弟橘媛だ。
そんなことは、意味がない。
必ず生きて、禍津姫(まがつひ)との決着を着ける。
「孫をよろしく頼む。死なせてくれるなよ」
「…もちろんだ」
「私は道しるべ。あの子は希望だ。私ができなかったことをすべて背負わせてしまうのは心苦しいが─」
長い睫毛が祈るように伏せられた。
また、薄紅色の風が吹く。
「どうか可愛いあの子の瞳が曇らないよう」
それだけが、私たちの願い事だ。
