「あ…」
身体から力が抜ける。
─思い出した。ここは、甘い虚構の世界。
そうだ、お父さんはどこにもいない。ここにいるのは作り出された偽物の虚像。
偽物に縋ろうと差し向けてどうするつもりだったかはわからないが、きっと師匠が来てくれなかったら私は今頃─ぞっとして寒気が肌を覆った。
なおもお腹を押さえて蹲る父。浅い息で何かをとぎれとぎれに呟いている。
師匠はそれを一瞥し、鼻を鳴らした。
「闖入者(ちんにゅうしゃ)が来たことでまやかしの世界が綻んだか。杏子、帰るぞ。早くここを出る」
「う、…ん」
踵を返す師匠にたくさん聞きたいことがあった。けれど体は鉛のように重く口もうまく動かない。
「いいのかい、杏子…」
笑う低い声に情けない声が漏れた。怯えて振り返る。
父…否、父だったものはゆらりと傾ぎ、私を嘲るよう笑った。
「元の世界はつらくて苦しいだろう? 妖に支配され怯えて過ごす日常はどうだい? 今まで何不自由なく、何にも脅かされず平穏に生きてきたおまえには応えたろう」
声は続ける。
「巫女の使命も何かも捨て置いて、ここにずっとおいで。お父さんが守ってあげるから。いつまでもいつまでも、いつまでもいつまでもいつまでも!」
吐き捨てるとお父さんは息を切らしながら私たちと距離を詰める。
父の姿形をしているのに、さっきまであんなに慈しむ笑顔を浮かべていたのに─
今はその影すら窺えない。
師匠に降ろされ、離れろと言われたが首を振った。離れたら師匠はお父さんを…殺すはずだ。
ゆらりとその身が戦闘態勢に入るのを制して、父へ一歩近づいた。師匠に強く咎められるが、同じくらい強く瞳を見つめ返した。
これは私が招いた事態なんだろう。だったら自分でカタを付けるのが筋ってものだ。
「…うまく立ち回れそうにないと判断したら容赦なくいかせてもらうぞ」
「うん。ありがとう、ごめん」
ため息をついて師匠は、私に任せると言ってくれた。
優しさに心が締め付けられる。私の意思をいつだって師匠は汲んでくれて─
