やさしく押せって、そんなの今更―――

おれはベーグルの入った紙袋を抱えて、アパートの階段を昇る。

鍵を出そうと、斜めがけカバンのチャックを開けたときだった。

おれは足を止め、目を見開いていた。

おれの部屋の前に、黒いコートで身を包んだ、祥子が座っていたからだ。

そろりと近づくと、どうやら寝てしまっているようだ。

「祥子、おい、おい」

肩を揺さ振る。

頬に触れると、とても冷たかった。

「ん‥‥ましゅまろ」

マシュマロ‥?

「おい、起きろ。風邪ひくぞ」

「んん」

そして、ようやく目をこすりだした祥子。いったいどんだけ寝てたんだ。

「――げっ、仂」

人の顔見て「げっ」ってなんだよ。

「とにかく中に入れ。おまえ来たんなら電話しろよ」

「ご、ごめ‥」

泣きそうになっている祥子を見て、店長の言葉を思い出した。

やさしく、やさしく。

中に入れて、とりあえずインスタントコーヒーを入れてやる。

もうとっくに日は沈んでいる。

おばさんは知っているのかと訊くと、ただ首を振ってよこすだけだった。

「おばさん? おれです。仂。あー、そう、こっち来てて、連絡とれなくて来てるの気付かなくて、はい。もう遅いし、今日は泊まらせます。すいません。はい、わかってます。はい」


やたらはいはいと返す。とにかく向こうは怒っていないみたいだった。


電話を切ると、祥子が不安げにこちらを見ていた。

「まだ外は寒いんだぞ!? 風邪ひいたらどうすんだ。しかも寝てたら危ない奴に目ぇつけられんだからな!?」

「ごめんなさい」

うなだれた彼女を見て、しまったと悔やむ。

やさしく、やさしく。

「腹減ったろ。今なんか作ってやるから」

「なんで来たか訊かないの?」

せっかく入れたコーヒーに口をつけず、三角座りでじっと湯気を見つめている。

「おれに会いたくて来たんだろ?」

「―――べつに、べつに会いたくて来たわけじゃないもん」