よほど落ち込んだ顔をしていたのか、のぞみが急にニヤニヤしながら小声になった。
「実はねここだけの話、うちのお母さんね、若い頃天宮先生のことが好きだったんだって」
「ええっ!」
あまりの驚きに声をあげた私を、のぞみは人差し指で制する。
だってあまりに衝撃的。
「しっ!でもね、天宮先生には大切な恋人がいて、その人をお父さんと取り合ったらしいのよ」
「嘘っ!」
「だから静かにってば」
そんなこと言われたって無理よ…
でものぞみはとても楽しそうに話をする。
天宮先生と辻本先生が恋した女性は若くして病気で亡くなったそうだ。
その時天宮先生は事情があってどうしても彼女のそばにいてあげらずに、代わりに辻本先生と綾乃おばさまが最期を看取った。
絶望にうちひしがれていた天宮先生が立ち直るきっかけが、「なつみ園」だったという。
「天宮先生はね、その恋人への愛を恵まれない子どもたちに向けることで、彼女とつながっていたいんじゃないかってお母さんが言ってた」
「もしかしてその人って」
「夏の海と書いて、なつみさん」
ああ、だから「なつみ園」。
そして天宮先生が海を見るときの目が愛おしそうなのも、納得できる。
亡くなった恋人を想ってるから。
「その人のことが忘れられないから、先生はまだ結婚しないのね」
私は窓から海を望んだ。
亡くなった愛しい人と同じ名前の「なつみ園」で、私たちにこの上ない愛を注いでくれた先生。
あの先生が愛した女性。
今でも愛し続ける女性。
きっと名前の通り、夏の海のようにキラキラした人だったんだろうな。
「なーに、浸ってるのよ」
のぞみの声で我に返る。
「そんな辛い恋をした人もいるんだからさ、真琴もどんっとぶつかっちゃえ!」
私を励ますつもりでこの話をしてくれた親友。
父親と天宮先生が一人の女性に思いを寄せていて、母親は叶わぬ恋と知りながら天宮先生を想っていた…娘として複雑だったに違いない。
「その話は綾乃おばさまから?」
「うん。お母さんってば、意外にもあっけらかんとして言うんだもん、こっちがびっくりしちゃった。ああ見えても男っぽいところがあるのよ。お父さんよりも強いんだから」
優しそうな辻本先生の顔を思い浮かべて、私たちは大笑いした。
「確かにね」って。
でも、のぞみ。
綾乃おばさまは確かに天宮先生が好きだったかもしれない。
でも、最終的に辻本先生と共に生きたいと思ったからこそ、大学に入り直して看護師の免許を取るそのエネルギーはすごいものよ。
愛してるからそういうことができるのね、きっと。
人を好きになるって、そんな勇気と力を与えてくれるものなのね。
なんだかしんみりとした気持ちで、私はのぞみの家を後にした。


