ぶすっとした私を鏡越しに見ながら、お兄ちゃんは言った。
「あの、メイクもしてやってください」
もう、いきなりこんなところに連れてきて。
他の店と違って、ホステスさんのお客さんが多いこの「ジョアン」は、日曜日の午前中は一番すいてる時間なんだって。
私を担当してくれるのは、たまたまオーナーの岸田さんという女性だった。
丸顔でにこにこした感じのいい人だった。
少しもつれた波打つ黒髪に、岸田さんが丁寧にクシをとかしてゆく。
「黒くて豊かな髪。日本人らしくて、とってもきれい」
「そうですか?初めてそんなこと言われました…」
普段は多い髪が面倒だなって思っていたけれど、そう言われるとちょっとその髪にも愛着がわいてくるから不思議。
それを機に、岸田さんとの話が弾んだ。
私も接客業だから、初対面の人とでもうまく話すことができる。
当然話も盛り上がる。
でも岸田さんはどんなに話してても、大笑いしてても、ハサミを持つ手がブレることは決してない。
「ジョアンって名前、素敵ですね」
「あら、本当?うれしい」
「私もあるお店で働いてるんですけど、お客さんにその店の名前が陰気だって言われて、腹が立っちゃって」
「そうなんだ。でも、その人にとっては何か辛いことを思い出させるんだろうね」
泰兄の声が聞こえてくるようだった。
『過去を振り返ってる』って。
あなたの言う「過去」はいつのこと?
なつみ園でのこと?
それとも施設を出てからのこと?
きっといろいろとあったのよね。
私もお兄ちゃんにも一言では言い表せない思いがあるもの。
「岸田さんは、どうしてジョアンって付けられたんですか」
「え?ちょっと恥ずかしい理由なんだけど」と彼女は前置きして話してくれた。
大好きなアーティストで「ジョアンナ」って曲があるそう。
専門学校時代、ずっと聴いてたんだって。
「その曲を聴くと、美容師としての原点を思い出せるっていうか…で、ちょっといじってジョアン。あ、いじるもなにも、ナを取っただけだけど」
うふふと笑う岸田さん。
そうよね。
店って自分の子どもみたいな存在。
みんな夢や願いが込められてる。
私だっていつか自分の店を持ったら、すごく名前にはこだわると思う。
マスターだってゆり子さんだって、その名前にいろんな思いを詰め込んでる。
そういえば、ゆり子さんに訊いたことなかった。
「シトラス」の由来。
今度訊いてみようかな…


