豪勢な夕食をすませ、何もすることがなくなった私たち。
浴衣姿の泰兄は窓を大きく開け放ち、また煙草を吸っている。
周りは山に囲まれ、真っ暗。
静かな静かな夜。
冷たい風が木々を揺らす音と、庭の露天風呂からチョロチョロと湯の落ちる音がするだけ。
テレビをつけるのも場違いな雰囲気。
「入れよ」
「え?」
「風呂。俺は飯の前に入ったから」
彼はなぜか笑いを含みながら言った。
「じゃ、じゃあ入らせてもらうわ。せっかくだし」
私は縁側で赤い鼻緒の草履を履いた。
「絶対に見ないでね」
真剣に言ったのに、肝心の泰兄は噴き出した。
「ガキか、おまえは。見るわけないだろ、安心しろ」
「ほんと?」
「ああ、だから早く行けよ」と、しっしと追い払うように手を振る。
私は物陰で浴衣を脱ぐと、湯に入った。
夕陽を思わせるようなオレンジに輝く電球がひとつ。
湯気までもその色に染める。
少し熱めの湯が身体中を包み込み、思わず息が漏れた。
そろそろと足を伸ばしてみる。
…気持ちいい。
実のところ私、温泉なんて初めて。
しかも貸し切りの露天風呂なんて。
嬉しくて、湯から少し出た肩に何度も湯をすくってかけた。
私が動く度に、まっすぐに立ち上っていた湯気が踊る。
岩にもたれると、その冷たさがなんだか気持ちいい。
しばらくの間、時を忘れて私は贅沢な時を過ごした。
「あひるのおもちゃでも持ってくればよかったな」
突然の声に、慌てて深く潜る。
「もう!見ないって言ったじゃない!」
「俺はここに湯治に来たんだ、入らなくてどうする」
しゃがみ込むと、その大きな手で湯をすくう。
泰兄の口から「湯治」だなんて…
なんだかちょっと…
笑いをかみ殺した私を見て、彼はすかさず「ジジくさいって今思っただろ」と湯をかけてきた。
見事に顔に命中。
「やめて」
味をしめたように、何度も湯をかけてくる彼。
「こんなことする泰兄のほうが、子どもっぽいじゃない」
顔を拭い目を開けると、彼が浴衣を脱ぐところだった。