たったそれだけのことで、俺に親切にしてくれてたのか。
キヨさん、あんたはバカだよ。
ほんっとにバカだよ。
「あんたに会いたくて、のらりくらり立ち退き話をはぐらかしてきたけど、もうおしまいだよ。今までこんなばあさんの相手をしてくれて、ありがとね」
そう言って、合鍵を俺の手に握らせた。
「ほんとにありがとうね。毎日楽しかった。子どもも生んでないくせに、孫だけができたみたいで」
顔中しわくちゃにして、キヨさんは笑ってみせた。
その夜、彼女の店の前まで行ったけど俺は合鍵を使うことができなかった。
やっぱりキヨさん本人から権利書をもらわなければ、俺自身が納得しない。
明日、この鍵は返そう、そう思った。
次の日は昨日の晴天とは一転して、雨だった。
いつものように503の病室に入ると、他の入院患者の動きが凍り付いたかのように、急にピタリと止まる。
不審に想いながらもキヨさんのベッドをのぞいて、愕然とした。
「おいっ、ここのばあさんは!」
しきりのカーテンを引きちぎるほど乱暴に開けると、俺は隣の患者に詰め寄った。
「たっ…退院したよ。昨日の夕方…」
なんだって!?
俺はナースステーションに駆け込んだ。
いや怒鳴り込んだといったほうが正しい。
「なんで退院なんだよ!まだ完全に治ってないだろ、あんなに痩せこけて。どこ行ったんだよ!」
若い看護師たちに訊いても、怯えながら「さぁ…」と言うばかり。
「くそったれ!」
思いっきり壁を蹴ると、「失礼ですが」と背後から年配の師長らしい女が声をかけてきた。
「何だよ」
「ここではなんですから」
そう言って、建物の外にある非常階段の踊り場に連れて行かれる。
「実は高橋さまのところに、暴力団関係者がよくお見えになるという噂がたちまして」
俺のことか…
「病院といたしましても、他の患者さまのご迷惑になってはと思い、高橋さまに確認させていただきましたが、何もおっしゃらなくて。そしたら突然退院したいと…」
「で、追い出したのか」
「追い出したなんて、滅相もございません。ご自分で出て行かれたのです」
「ヤクザが…」
怒りを抑え、絞り出すように俺は言った。
「ヤクザが見舞いに来ちゃいけないのか」
「それは…」
「そういう世界の人間が、病気のやつを心配しちゃいけないのかよ!」
俺は錆付いた手すりを思いっきり蹴った。
「ふざけやがって!!」
そう吐き捨てると、俺は師長をにらみつけた。


