「早くお食べよ。冷めたらおいしくないじゃないか」とばあさんは急かした。
「いや、俺…」
「代金はいらないからさ」
ラッキー、それが正直な気持ちだった。
その日食っていくのにも困る毎日だったから、余計に。
「そこまで言うなら、食ってやるよ。いただきます」
うまかった、本当にうまかった。
無言のまま、どんどん箸が進んでゆく。
満足げに俺の様子を見つめるキヨさん。
全部たいらげた俺に、熱いお茶を淹れてくれた。
「うまかった、ごちそうさん」
「で、話って何だい」
お茶をすすりながら、俺は手短に立ち退くように告げた。
「これはまた手荒なことをするね。でもあたしはあと5年はここで店をやるつもりだから」
つもりだから…って…
いや、そんなこと宣言しても無駄だって。
「あのさ、ばあさ…いやキヨさん。周りはみんな立ち退くんだって。ここは宅地になるんだからさ。ゴネたってもらえる金は変わんないぜ」
「金なんていらないよ。店でこうやってお客さんを待つのが、あたしの生き甲斐なんだからさ」
まいった…
他の店主があっさりと折れたことで、俺はこの仕事を甘くみていた。
だからこのキヨさんの言動が予想外で焦る。
その日は何を言っても、どう脅そうとも、首を縦には振らなかった。
敗北感を味わいながら、俺は店を出た。
「また来るから、ちゃんと考えとけよな」
「はいはい、明日のメニューは何にしようかね」
くそったれ!
完全に俺をバカにしてやがる。
怒りにまかせて、俺は引き戸を力任せに閉めた。
次の日も、またその次の日も、俺はその小料理屋に出向いた。
一晩かけて考えた落とし文句も、あっさりかわされてしまう。
「まぁ、そんなことより食べていきなよ」
キヨさんは毎回日替わりの定食を出してくれた。
そんな日が続いて、とうとう俺は一緒に立ち退きを進めていた奴らに呼び出された。
「泰輔、何を手こずってんだよ。あとはあの小料理屋だけだろ。力尽くで土地の権利書取ってこいよ」
「おまえがチンタラしてるから、うちの組長が鶴崎親分に怒鳴られるんだよ」
直人さんが?
「それ、本当か?」
その時初めて、直人さんが鶴崎組長に呼び出されていたことを知った。
なかなか計画が進まないと、ひどく叱責されたそうだ。
だが直人さんは何も言わず、ただ頭を下げていたらしい。
俺はすぐに直人さんのもとに向かった。


