~片桐真琴~
扉を開けると同時に、容赦なく冷たい空気が肺にまで入ってくる。
その瞬間が一番疲れを感じる。
アパートまで10分ほどなのに、果てしなく遠い道のりのように思えた。
一番冷え込む時間帯なだけあって、吐く息が真っ白。
ショールを口元まで引き上げると、私は本通りの街を抜けてゆく。
雨が降ったのか、アスファルトが寂しく光っている。
泰兄と別れてから、一度だけこの街で彼とすれ違ったことがある。
あの日も小雨が降っていて、舗道はこんなふうに光ってた。
毎晩大勢の人が行き交うとはいっても、同じこの街で働いている限り顔を合わせないとは限らない。
そう思って「もしも」の時のために心づもりをしていたはずなのに、いざとなると彼が私に気付く前に開いた傘でこの身を隠してしまっていた。
でも一目あなたを見たくて…
傘を少しだけ上げて、すれ違う彼を見た。
少しやせた横顔。
切なくて…
あまりに切なくて、胸が苦しくなった。
根強く残る、あなたへの想い。
まだ好きでいるなんて…
忘れたい、そう願えば願うほどに、彼は私の胸の奥へ奥へと入り込んでくる。
今この瞬間だってそう。
ここを通る度に、交わした口づけのほろ苦さを思い出す。
たまらなくなってその場所を通り過ぎようと、足を早めた時だった。
やけに人の出入りが激しい店が一軒。
皆が一様に真剣な顔をしている。
そこが泰兄のクラブ、AGEHAであることはわかっていた。
どうしたのかしら…
気にならないといえば、嘘になる。
でもあえて目をそらして、その前を通り過ぎた。
そこに男が一人、重厚な扉を開けて慌ただしく外に出てきた。
「あ!」
弾けるようにあげた彼の声に、私は思わず目を向けてしまった。
「あなた、確か…」
そう言いながら、走り寄ってくる。
私はショールで顔を隠すと、足早に立ち去ろうとした。
いつかAGEHAで雨に濡れた私にタオルを持ってきてくれた、勝平という若い男だった。
「待って!ちょっと待ってください!大変なんです!」
彼は私の手をつかんだ。
「離してください!」
その手を必死で振り払う。
「すみません、でもあの…泰輔さんが…」
「彼とは何の関係もありませんから」
彼の言葉を聞くまでもなく、私はちぎって捨てるように言った。
でも勝平さんは悲痛な顔をして私に告げたの。


