気まずい…
私は意味もなく氷を砕いてみたり、ボトルについた指紋を拭き取ったりしていた。
「ねぇ、ちょっと」
時折、こんな調子で彼女はカクテルのおかわりを注文する。
でもそれ以外は私は完全に蚊帳の外。
当然と言えば、当然なんだけれど。
甘くささやく彼女の声と、圧し殺したように笑う低い彼の声。
早く時間が過ぎればいいのに。
何杯かカクテルを飲んだ彼女は、化粧を直してくると席を立った。
カウンターには私と「泰兄」であろう、その人だけ。
落ち着かない私は、磨き終えたグラスを何度も手に取り、磨く。
完全なる沈黙。
ビートルズがやたらと大きく聴こえる。
泰兄なんでしょ?
そう確かめるのは今しかないのに。
結局何て切り出していいのかわからずに、時間だけが過ぎてゆく。
彼女と彼の濃密な関係を目の当たりにしているよりも、この「ふたり」の時間が私には重苦しい。
「お待たせ」
彼女が戻ってくるなり、「いくらになる?」と彼は席を立った。
「つりはいらない」
倍近い金額を置くと、彼らは螺旋階段を絡み合うように身を寄せ合って、上がっていった。
「ありがとうございました。またお越しくださいませ…」
扉が閉まる音がすると、思わずため息がもれた。
なんだかホッとした。
しかも肩が凝った感じ。
さっきまで全身に入っていた力が一気に抜けて、疲れをどっと感じた。
同時に彼が泰兄だなんてまさかね、そんな考えが湧き上がってくる。
今夜の私はどうかしてる。
ただ傷跡と仕草がよく似てただけなのに…
そんな人、この世にはごまんといる。
泰兄のわけがない。
だいたい最後に会ったのは、私が10歳になるかならないかの時。
彼の面影なんて、ぼんやりとしか覚えていないし。
ああ、馬鹿馬鹿しい…
私は誰もいなくなったカウンターの片付けをしはじめた。
でも思い過ごしなんかじゃないってわかったの。
やっぱり彼が「泰兄」なんだって…
私のこと、忘れてなかったんだって…
だって彼の使っていたコースター。
そこにはこう書いてあったの。
殴り書きのような字だけれど。
グラスの水滴が落ちて、滲んでいたけれど。
でもはっきりと私には読み取れた。
『久しぶり、また来る。相原泰輔』って…


