彼のシャツに涙がにじむ。
「…教えてほしいことがあるの」
低い声でそう言うと、私は彼の胸から顔を上げた。
眉を寄せた彼と目が合う。
「須賀の男たちが言ってたの。あなたがこの若さで今の地位にのぼりつめたのは…」
思わず、ごくりと喉が鳴った。
「人を殺したからだって…」
苦しげに歪む泰兄の顔。
「本当、なの?」
彼の瞳からは計り知れないほどの哀しみが溢れていた。
嘘よね、お願いだから嘘だって言って…
今まで見たことのないその目は、まるで彼を別人のように見せる。
「どうなの…」
「本当だ」
私は目を閉じた。
一縷の望みさえも、あっけなくついえてしまった。
ああ、もう何もかも消えてしまえばいいのに。
あなたのそのこめかみの傷も、
なつみ園であなたに抱いた淡い恋心も、
再会した時の胸の高鳴りも、
会う度に惹かれていった日々も、
熱く奪われてゆくような口づけの感触も、
この胸の広さもあたたかさも、
私たちが出会ってしまったこと全てを消し去ることができたら、どんなに楽だろう。
一歩一歩と彼から遠ざかる。
そしておもむろにバーテンダーナイフを取りだした私。
そう、泰兄にプレゼントされたもの。
刻印された「MAKOTO」の文字が滲んで見えない。
私は鋭く光る刃先を自分の喉元に突きつけた。
この私の悲しみが、悔しさが、あなたの中で罪となって一生残ればいいのに!
自販機の唸り声が、見計らったかのように止む。
「ナイフをおろせ」
こんな時でも彼は憎らしいほどに冷静さを保っている。
「近寄らないで!これ以上近付いたら私、死ぬから!」
両親の命を奪った組織の人間だとわかっていても、まだ彼への想いが強く残る。
簡単に断ち切れそうにないほどの、深く強い想い。
それほどまでにあなたを愛してるのに…
そしてこの刃を彼のその胸に突き立てたいほどに、彼が憎い。
愛と憎しみ。
その狭間で苦しみながら生きてゆくなんて、到底無理なこと。
だったら、いっそのこと…
ナイフを持つ手に力を入れた。
それでも彼は近寄ってくる。
いつものように、あの革靴を鳴らしながら…
コツリ、コツリ…と。
「来ないで!」
ナイフを持つ手が震え、先端が激しく揺れる。
「いやっ!」
とうとう私は自分の喉に目がけて、ナイフを突き立てた。