「俺たちが一生を捧げてもいいって思った人だよ」
浩介さんは立ち上がって、窓の外を見た。
もう日が沈み、闇が迫っている。
「直人はそういうやつなんだよ。俺のこの話を聞いてどう思うかは、おまえ次第だけどな」
さかいオートを後にした俺は、何度も浩介さんの話を反芻していた。
そして決めたんだ。
ハンドルを強く握りしめると、ある場所にむかってアクセルを踏み込んだ。
数日後、俺は鶴崎組の組長宅に寝泊まりしていた。
圭条会の一員として。
そこでは組長夫人のルリ姐さんに徹底的にしごかれた。
恐ろしく綺麗な人なのに、怒るとまるで般若のようだった。
10代でこの世界に入り、酸いも甘いも知り尽くしている彼女は、若い衆を育てるのも相当厳しかった。
お茶の淹れかたが悪いと言われては、頭を叩かれた。
電話の応対がなってないと言われては、後ろから蹴られた。
ネクタイが曲がっている、寝癖が直っていない、靴が汚れていると竹刀で尻を叩かれたのは数え切れないほどだ。
一番気合いを入れねばならないのが、鶴崎家の一人息子、小学生の健吾さんの運動会の場所取りだ。
前日の夕方から校門前に並ぶ。
何が何でも早すぎるとは思うが、もしも一番いい席を逃してはルリ姐さんにどんなに叱られるかわからないので、その役を仰せつかったやつは皆必死だった。
その健吾という少年とは、ガキ嫌いの俺とは珍しくウマが合った。
おとなしくて、わがままなんて一切言わない子だった。
鶴崎組長とルリ姐さんの子どもとは、到底思えないほどに。
よく彼と一緒に夕食を食べた。
組長は家を留守にしがちだったし、姐さんはクラブのママをしていたので夜は店に出ていていなかった。
だから世話役として俺が健吾さんの学校の送り迎えや、ゲームの相手をしていた。
年の離れた弟、そんな感覚だった。
ある日、いつものように夕食の支度をしていると、彼が言った。
「ね、今日もご飯は泰輔と食べるの?」
「ええ、親分も姐さんもお仕事なので」
「ふうん…」
寂しげな顔の少年に、俺は理由を訊ねた。
「今日、俺の誕生日だったから、家族で過ごしたかったんだけどな。仕方ないよね、仕事なら。それとも忘れちゃったのかな」
それを聞いて、俺はたまらず姐さんの店まで走っていった。
今夜だけは一緒に過ごしてやってください、そう言いに。
だけど、ルリ姐さんは顔を真っ赤にして怒り狂った。
「半人前のくせに、あたしら家族の問題に首を突っ込んでんじゃないよ!」ってな。
着物姿の姐さんは、俺を蹴りまくった。
よくもまあ、そんな格好で足が上がるもんだな、って思ってた。
その様子を直人さんは笑って見ていた。


