工場内の事務所に入ると、浩介さんの奥さんがオレンジジュースを入れてくれた。
「ごめんなさいね、子どもっぽい飲み物で」
浩介さんはコーヒーが飲めない。
飲むと腹をこわし、匂いをかいだだけでもトイレに駆け込むそうだ。
だから事務所にはコーヒーは置いていない。
他の従業員にも「社内コーヒー禁止令」が出ているのだという。
意味がよくわからないが、でもどこか憎めない人だ。
「あの人、ほんっとに子どもっぽくって」と奥さんも苦笑いだ。
「泰輔だっ、泰輔が来てる!今日はどこぶつけたんだよ!」
ったく、またいるのかよ…
浩介さんのガキ…いや息子さん、4歳。
「ぶつけてねぇよ、ただの点検だ、点検」
「嘘つけー」
「マジだって」
「そんなことより泰輔、スーパーレンジャーごっこするぞ」
「へいへい」
こうやって俺は、車が直るまでの時間を過ごす。
ガキは苦手だ。
いきなり前触れもなくイタイところをついてくるし、とにかくすぐに泣く。
いつだったかな、施設で女のくせに男みたいな名前だなって、泣かせたやつがいた。
えらく怒ってた。
その場しのぎで、これから「マコ」って呼んでやるって言ったけど、それ以来一度も口を利かなかったな、なんて思い出していた。
でも俺が豊浜の施設を出る日の朝。
夜通し降っていた雨が止み、すがすがしい朝だった。
するとドロドロの顔で、その「マコ」は俺の前に立ち、無言で何かを差し出した。
泥にまみれた小さな指には、四つ葉のクローバ。
そいつは朝早くからずっと探してたんだ。
雨に濡れた庭で、こんなにも泥だらけになって。
胸が少しうずいた。
なのに俺は何も言わずに受け取った。
「神さまがいつも泰兄と共におられますように。どんな時も見守っていてくださいますように」
そいつは力強くそう言った。
まっすぐに俺を見つめる瞳。
猫みたいだ、そう思った。
思わず息を呑むほどの、人を惹きつける目。
神など信じない俺だったが、その目に魅了されて「そうだな」と思わず答えてしまった。
それが「片桐真琴」だ。


