着替えをすませ、乱れた髪をそのままに店を出た。
外はいつの間にか雨。
細い細い、雨。
霧雨…
その中を家に向かうでもなく、さまようように私は長い間歩き回った。
あんな人間に頼ってまで店を守らなきゃならないだなんて、そんなの考えられない。
泰兄の言葉がふいに蘇る。
『おまえはガキだな、世の中の汚い部分から目を背けすぎだ』
ねぇ、泰兄。
恵美さんの言うことがわからないでもないの。
だけど、だけどね…
私の両親は圭条会と須賀一家の抗争に巻き込まれて死んだのよ。
私たち家族の幸せを一瞬にして奪ったのよ。
そんな組織に嫌悪感を抱く私を、世間知らずだと言える?
世間の厳しさから逃げてると言える?
答えて、泰兄。
追い打ちをかけるように耳の奥で彼の冷たい声がこだまする。
『おまえは一生一流のバーテンダーにはなれない』
そうかもね…いいえ、その通りよ。
あなたの言う通り。
あの過去を乗り越えない限り、私はお父さんみたいにはなれない。
バーテンダーと名乗るのもおこがましいくらい。
その時の私はどうしていいのかわからなかった。
気持ちを落ち着かせようと目を閉じても、17年前の血の色が、赤色灯の色が瞬く間に広がってゆく。
動悸が激しくなった。
思わずしゃがみこむ。
冷たい、この街。
行き交う人は他人のことなんて、見て見ぬふり。
もしかしたら視界にすら入っていないのかもしれない。
こんな世界に足を踏み入れたのは、紛れもなく自分自身なのに。
覚悟していたはずなのに。
今とてつもなく寂しい。
怖い。
苦しい…!
その時、助けを求めて口をついて出た名前。
それはお兄ちゃんでもなく、両親でもなく…
「泰兄…」
あの人の名だった。
気がつけば、泰兄の店のAGEHAの前に来ていた。
ううん、それは嘘。
途中からわかってた、ここに足が向いてるって…。
そこで立ちすくんでいると、仕事を終えたホステス数人が出てくるところだった。
皆、一様に雨に濡れた私に冷たい視線をなげつけ、去ってゆく。
彼は、泰兄はもう店にはいないのかしら、と明かりの消された店の扉を見つめる。
そうしてるうちに、柔らかな雨から次第に強いものへと変わってゆく。
会いたい…泰兄に会いたい。
どうしても訊きたいことがある。
過去に執着していては、前に進めないの?
必要悪って存在するの?
それを認めることができない私は、一生このまま苦しまなければならないの?
泰兄…助けて…
もうどうしていいのかわからないの、私…
助けて…
冷え切ったこの身体は、傷付いたまま静かに震える…


