俺はほかの誰でもない、俺のために、野村千笑を傍に置いていた。
そのことに多少の罪悪感を覚えつつあったときに、田辺麻里香は、突然俺の人生に舞い戻ってきたのだ。
「陽平先生、助けて」
彼女から救難信号を受け取るのは2度目のことだった。
あの放課後の教室がダブる。
ついきのうの出来事のように、ありありと蘇ってくる。
別離しても、本当はずっと、心のどこかで気がかりだった。
つきあい始めた当初、お守りだと交換したお互いの腕時計を、俺はずっと捨てられずにいた。
「大学のころは上手くやってたの。でも、お父さん……わたしが就職してから、お金を無心するようになってきて」
このままじゃお父さんのこと殺しちゃうかもしれない――
それは、家に帰りたくない、と泣いていた少女と同じ人間だとは思えないせりふだった。
どんなであろうと一度はつきあっていた元恋人なわけで、いちばん最初にできた生徒でもある。
心配だったし、そんなことを口走るやつのことを放っておけるはずもなく、俺はそれから定期的に麻里香と会った。連絡があれば応じるし、会いたいと言われれば会いに行く。
それを勘づいて、野村千笑がどうしようもなく不安がっていることは、ずっとわかっていた。
「陽平先生、本当にごめんね、わたし、陽平先生がどれだけ強い人だったのか、こうなってみてはじめてわかったよ」
「……やめろ」
「ごめんね、今度はわたしが陽平先生を守るから」
「いいから、そういうのはもう」
「なんで……」
助手席から手を伸ばし、俺の肩にすがっていた泣き顔が視線を上げる。
深い場所を探るような目。
それは、ずっと、変わっていないんだな。
「ああ、そっか……陽平先生、あのコのこと、好きなんだね。千笑ちゃん、だっけ? 特別扱いしてるの、ひと目でわかったよ」
人のことをよく見ているし、察しがいい。
そういえば、実習生として彼女を教えたとき、頭の回転が速く賢い生徒だと思ったことは、一度じゃなかった。



