彼女は友達と帰宅するふりをして、決まってその数十分後、誰もいなくなったのを見計らうように教室に戻ってくるのだった。
そうして、当たり前みたいに俺の前に座り、べらべらとひとりでしゃべり始める。
「世界史のワダセンってロリコンらしいよ。どーりで女子生徒を見る目がキモイと思った!」
「あしたから体育マット運動だってえ。だるいよう」
「ねえ陽平先生。3組って教えに行ってるんだっけ? コガちゃんとヨシくんってつきあってんのかな?」
「うちの学年でいちばんかわいいなーって思うコだれ?」
「サキがさあ、きょう機嫌悪くてさあ、お弁当のときちょっと喧嘩みたいになっちゃった」
「ねえ陽平先生、わたしが悪かったのかな?」
「陽平先生、眼鏡外してほしいよ」
「ねえ、陽平先生、ねえってば……」
「――おまえは黙ってたら死ぬのかよ」
手を止め、顔を上げた。うんざりしたので同時に眼鏡も外してやった。
田辺麻里香はとても満足そうな顔をして、へらりと、目を細めて、首をかしげて笑った。
「うん、死ぬのかもしれない」
いたって冗談めいた響きの答えだった。
くだらないと思い、再び目線を下げ、手元の作業に没頭する。
黙っていたら死ぬらしい彼女は、それでもなおくちびるを動かし続けた。
「あのね、ほんとに家でもずーっとしゃべってるの」
「沈黙が怖いの」
「しょうもないことばっかりしゃべってるの」
「お父さんの機嫌を損ねないように」
はっとして、顔を上げた。
「陽平先生、家に……帰りたくないよ」
それは、俺たちが放課後をいっしょに過ごし始めてからずいぶんと経ってからの告白。
教育実習期間を3日残した、本当に最後の、彼女からのSOSだったのだと思う。



