‡〜見えたもの〜‡

知らず、息を詰める。
無意識に足を止めた場所は、あの頃と変わらぬ唯一の場所かもしれない。
あの日、目に写った空を幾度となく思い描いた。
例え忘れられたらいいと思う出来事と対になっているとしても、あの美しい空をなかった事にはしたくない。
城へと続く正門前の石橋。
目を閉じれば、あの時の喧騒が聞こえてくる。
これで終わりにできるのだと高々と声を張り上げる者。
城の兵逹を挑発する者の声や、馬の嘶き。
地鳴りの様に駆けてくる人々の足音。
後悔なんてしてはいない。
今でもあの時打てる最善の手だったと思っているから。
ふっと何かに引き寄せられるように門を見上げた。
一番上の物見の窓、そこに過去の光景が重なった。
あの日、倒れた時に目の端に映ったもの…。


私以外、彼の表情が変わる所など見たことがなかっただろう。
王の隣に立ち進言する時も、暴言を浴びた時も、変わらずいつでも表情はなかった。
ポーカーフェイスと言ったら格好いいかもしれないが、みな気味悪がっていた。

”クロノス・ディル・マルビン”

時の神クロノスの名を持つ者。
彼は幾つもの二つ名があった。

”時の賢者”
”時の守人”

そして…”時の宰相”

どれだけ二つ名があっても、謎に包まれた人物だった。
どんな時でも表情を面に出さない彼は、その周りだけ時間が止まっているように感じるのだ。
昔から姿の変わらない彼は、人族ではありえない。
周りにいた大人達もどんな種族で、どこから来たのか知らないと首を振った。
正体が分からないが、腕は確か。
倒れかけた国を王と認めた者に力を貸し、共に必ず建て直す。
人付き合いの苦手な人だった。
そんな宰相が、私はお気に入りだった。
いや…彼ではなく、彼を取り巻く空気だったかもしれない。
何よりも望んだのは彼の持つ知識だった。
星のない夜は、書庫で過ごす彼に幾つもの話を日が上るまで聞かせてもらった。
様々に見てきた国々の話。
世界の成り立ち。
時には魔術の研究の話であったり、遠い異国の神話。
深みのある心地の良い声で語られる話の中では、普段表情の少ない彼の多くの表情を見ることができた。
感情のない”氷の宰相”と揶揄される彼だけれど、無感動ではないのだ。
それは私しか知らない彼の姿だった。

そう、あの日…あの場所から彼は泣き叫んでいた。
それは…目の前の彼と同じ表情だった。