主さまの気まぐれ-百鬼夜行の王-【完】

息吹と少し触れあえたことで、主さまは喜びを感じていた。


ましてや、命と同じ位に大切な真実の名を息吹が何度も呼んでくれる。


呼ばれる度に心が温かくなって、耳元で呼んでくれたらどれだけ嬉しいか…想像しただけで身震いしてしまう。


…話しかけたい。


叶わぬ願いだと知っていても、和紙に何かの絵を描いている息吹の細い指先を見つめた。


そしてその絵が誰だかも、すぐにわかった。


――長い髪を緩く結んだ男の笑顔。


そんな風に笑った覚えはないが、息吹の中では自分はこんな風に笑っていて、優しい笑みを浮かべているようだ。


「この人はね、主さまって言うの」


絵を描いている息吹は嬉しそうで…その横顔に見入ってしまう。


「私を育ててくれたの。小さな時たくさん遊んでもらったの。まさか…食べられるために育てられてたなんで知らなかったけど…」


…ずきんと胸が痛んで、眉根を絞る主さまを童女がじっと見つめている。


だが息吹はすぐに笑顔に戻って、また絵を描き始めた。


「この人は私の母様で…この人が雪ちゃん。みんなみんな大好きだった。いきなり居なくなって…きっと怒ったよね」


怒ってなどいない。


ただ悲しみの海に飲み込まれて、今まで浮上できていないでいたが…息吹の姿を見た2人は、徐々に立ち直りつつある。


――主さまは少し垂れた息吹の大きな瞳をずっと見つめていた。


その瞳の中に映り込むことができるのならば何でもする、と思うほどにずっと見つめていた。


すると…


「あ、晴明様と道長様だ!」


扉の前で牛車が止まる音がして息吹が立ち上がり、庭へと降りてゆく。


主さまは、描かれた3枚の絵を懐に忍ばせて庭へ下り、入ってこようとしていた清明とすれ違う。


「おや、もう帰るのかい?」


「…また来る」


ひそりと言葉を交わし合い、去ってゆく主さまはなぜか嬉しそうな顔をしていたので、晴明は出迎えてくれた息吹の頭を撫でながら問うた。


「私の式はよくやってくれていたかい?」


「ええ、とっても。十六夜さんはとっても優しい式です」


微笑んだ息吹に、2人はつられて笑顔になった。