主さまの気まぐれ-百鬼夜行の王-【完】

雪男の死を悼んでやる時間もなかった。


晴明の術は今にも壊れかかっていて、身体の中からは阿修羅の不気味な笑い声が木霊していた。



『ふふふ…小賢しいにも程があるぞ…!』


「!主さま、早く…主さま!」


「いやだ…俺にはできない!お前を刺すなんて俺には…!失敗したらどうする?どうなる!?」


「失敗したら…私をずっと覚えてて!ずっと!それだけでいいから!」


「…!」



息吹の身体がまただんだん熱くなってきたのがわかった。

少しずつ阿修羅の力が息吹を押しのけていき、息吹の瞳の色はまた目まぐるしく赤銅色と黒に変化し続けた。


「主さま!外に餓鬼が沸いてる!阿修羅が呼んだんだ!」


「なに…?」


袖を引っ張り続ける息吹の身体の中から不気味な笑い声がまた聴こえた。


『くくく…我の友人たちよ。貴様らは皆殺しにしてやる。肉塊にして二度と転生などできぬほどにな』


「主さまぁ…、お願い、早く…!」


…決心がつかなかった。

涙声で懇願してくる息吹を瞬きもせず瞳を見開いて見つめて、手からは力が抜けて天叢雲を落としそうになっていた。



「私がもし死んだら…それは主さまのせいじゃないから…!私が弱かっただけ。天叢雲さんが私の命を吸い取ったとしても、私はいつも主さまの傍に居れる!だから主さま、早く!」


「お前が居なくなったら…俺は生きていけない!お前を愛してるんだ!」


「ありがとう主さま…。でもやって!お願い!私が私で在る今のうちに!」



――主さまと息吹が押し問答をしている間――外では銀が餓鬼相手に舞っていた。


2本の刀を手にして、まるで白拍子のように優雅に穏やかな微笑を浮かべたままだったが…恐るべき速さで向かって来る餓鬼たちを切り結んでいた。


「雪男よ…」


主さまの命令で雪男の監視をしていたが、雪男はずぶ濡れになりながら屋内を見つめて…笑った。



『俺、行ってくる。もう戻って来ないと思うけど、それでいいんだ。頼む銀。俺を止めないでくれ』



…命を懸けて走り出そうとする雪男を止められるはずがなかった。


そして微かに聴こえた息吹の絶叫――


「…逝ったか」


命を懸けて息吹を愛した雪男はきっと笑顔で逝っただろう。

そう確信していた。