主さまの気まぐれ-百鬼夜行の王-【完】

息吹の腕の中に、雪男が着ていた白い着物と濃紺の帯がばさりと落ちた。


「雪ちゃん、雪ちゃん、雪ちゃん!!!!」


「急急如律令…、云!」


慟哭のあまり叫ぶことしかできない息吹に向けて術を唱えた後に札を放った晴明は、その札が息吹の身体にぴたりと張り付いて身体の中で暴れ回っている阿修羅をほんのいっときだけ封じ込めることに成功した後…もうひとつの術をかけた。


「間に合うか…!」


「息吹!息吹!!」


晴明が複雑な印を結んで術を唱えている間に主さまは息吹に駆け寄り、雪男の着物を胸に抱きしめて泣き続ける息吹を強く抱きしめた。

その身体が雪男が願っていた通りに熱が消えて、人としての体温を取り戻していた。


「息吹…悲しいな」


「主さま…!雪ちゃんが!ねえ、どこかに行っただけでしょ!?死んだんじゃないよね!?」


「…」


歯を食いしばって眉間に皺を寄せた主さまの表情で、その願いは叶わないのだと悟り、雪男が最期に耳元で囁いた言葉を…思い返した。



『息吹…今までありがとう。愛してる』



ぶっきらぼうだけど、とてもとても優しかった雪男。


もっと沢山本当の名前で…“氷雨”と呼んであげればよかった。

主さまと張り合う位に綺麗な男の人で、何度もどきどきしたこと…伝えればよかった。

ずっと傍に居てくれると思っていたのに――


「雪ちゃん…笑ってた…!主さま…雪ちゃんが…!」


「…あいつはお前を救ったんだ。雪男の力を感じるか?あいつは最期の力でお前に力を与えたはずだ」


晴明の術と雪男の力が合わさり、弱っていた体力がかなり回復していたが…この身体の中にはまだ阿修羅が居る。

そして晴明が主さまに“天叢雲を息吹に刺せ”と言ったことも、知っている。


主さまを、信じよう。



「主さま…私にその刀を刺して」


「!?駄目だ、そんなことは…」


「今度また乗っ取られたら私…もう戻って来れないかもしれない!」


「…!」



雪男は力を与えてくれて身体を冷やしてくれたが…それをも上回る凶暴さで、まるで身体の中で戸を叩くようにして外に出ようとする阿修羅を感じていた。


…雪男の死を無駄にはしたくない。


そのためにも…正気でいられる今のうちに、やらなければならない。

息吹は主さまをじっと見上げて、答えを待った。