主さまの気まぐれ-百鬼夜行の王-【完】

『馬鹿な…』


深い眠りについていたはずの息吹がむくりと身体を起こした。

そうしながら頬を指でなぞって涙を拭い、暗闇のせいで姿が見えないはずの阿修羅に向かってはっきりと断じた。


「猫ちゃんにひどいことしないで」


『そなた…意識があるのか…?我の術を解いたというのか?』


「私の手で猫ちゃんを傷つけるなんて…猫ちゃん、猫ちゃんっ!」


阿修羅の問いかけをまるで無視した息吹が何度も叫びながら暗闇を爪で引っ掻くような仕草をすると、そこにぽっかりと穴が開き、何故だかすっかり忘れてしまっていた主さまがこちらを凝視している姿が見えて、また叫んだ。


「主、さま…?主さまだ、主さまっ!父様も…みんな…!」


百鬼がこぞって集まり、立ちはだかっていた。


…自分の前に。


ということは、自分の意志とは関係なく、暗闇の奥に居る男がこの身体を操っていたのだ。

そして、可愛い猫又をこの手で傷つけさせた。


「猫ちゃん、死なないで…!私が殺しちゃったの?猫ちゃぁん…!」


涙声で訴えかけると、阿修羅の攻撃範囲外に逃れて寝かされた猫又の傍には鼬(いたち)のような姿で、鎌のような鋭い尾を持った3匹の鎌鼬が座り、そのうちの1番小さな鎌鼬が脇に抱えていた壺から塗り薬を手にとって傷口を塗りつけると、煙が立ち上ってみるみる傷口が塞がるのが見えた。


「よかった…猫ちゃん…」


『娘…そなたは何者だ?ただの人ではあるまい?そなたの力を封じた者は何者だ?』


「知らない。主さま、父様、私…どうしたらいいの?ここから出たいよ、ここから出して!」


『ならぬ。そなたは我の傀儡となり、この世に地獄絵図をもたらすのだ。ここからは絶対出さぬぞ』


「いや。これは私の身体だもん。あなたこそ誰か知らないけど出て行って!」


――その時、主さまの耳にかすれた高い声が届いた。


「主、さ、ま…」


「息吹…?息吹なのか?」


主さまと晴明は瞳を見開いて顔を見合わせた。


息吹の瞳の色が赤銅色と黒色に目まぐるしく変化して、息吹の身体の中で息吹が阿修羅と戦っているのが目に見えた。


「息吹、戻って来い!阿修羅を追い出して戻って来い!…俺の傍に!」


その時――息吹の頬に涙が伝った。


そして1歩前進して、主さまに手を差し伸べた。