主さまの気まぐれ-百鬼夜行の王-【完】

息吹の唇は吊り上り、いつもの可愛らしさは微塵もなく、少し乱れた胸元をさらにまた乱れさせた息吹…いや、阿修羅は立ち尽くしている主さまを妖艶な目つきで見つめた。


『人を愛したか。妖が?』


「…息吹の身体から出て行け。極楽浄土とか言ったがそんなものは存在しない。お前はお前の居るべき場所に戻れ」


『そこの坊主は悪鬼と謳われた我を呼び出すほどの覚悟があったのだ。この世界の崩壊を望んだ。我はそれを遂行するのみ。久々に暴れることができるのにみすみすこの機会を逃すものか』


燃え盛る炎を背後に無邪気に笑った息吹が1歩前へ進もうとしたが、金縛りに遭ったかのように上体が傾いただけで動くことができないでいる。

晴明が息吹に術をかけて脚止めをした効果だったのだが、息吹は無理矢理力ずくで腕を動かして術を解こうとした。


無理矢理に術を解こうとすれば、息吹の身体にも悪影響を及ぼす。

現に全身から火花を散らし、露出している腕や頬に裂傷のようなものが走ったのを見て咄嗟に晴明の袖を掴んだ主さまは荒ぶった声で叫んだ。


「晴明!術を解け!」


「だが阿修羅が」


「息吹を傷つけるな!早く解け!」


印を解いたと同時に笑みを浮かべたままの息吹が腕を振り下ろすと、その直線状には轟々と音を立てながら真っ直ぐに炎が走り、建物に張った結界が弾け飛んだ。


「あ奴め、皆殺しにする気だな」


「早く人間を避難させろ。…ここは壊滅するだろうが、その程度の被害で済むならそれでいい」


『我を止めることができるのか?たかが少し傷ついた程度で慌てるなど、それでも鬼族の筆頭なのか?』


「…傷ついたのはお前ではなく息吹だ。お前の暴れる世界がここじゃない。早く出て行け」


『ふふふふ』


悠々と護摩壇から降りた息吹は人が逃げ惑う建物に目を遣ると、百鬼が息を呑んで見守る中、裸足で彼らを眺めながらその間を縫ってくすくすと笑った。


「息吹…」


「息吹…戻って来い!俺たちの声が聴こえないのか!?」


『ふふふふふ、聴こえぬ。お前たちは…後で一斉に殺してやろう。まずは人間共からだ』


――阿修羅を止めることはできないのか?

主さまが天叢雲を握りしめた時――その刀はぼそりと囁いた。


『ひとつ案がある』


いちかばちかの案が。