主さまの気まぐれ-百鬼夜行の王-【完】

猫又に跨った主さまが下降を始めた時、炎の中から這い出てきたものが息吹の身体にずるりと入ったのが見えた。


「息吹!」


心臓が張り裂ける想いで猫又を急がせて護摩壇の前に降りた主さまを阻む結界が火花を散らし、腕に裂傷を負いながらも力ずくで結界を侵食して天叢雲を一閃させると、僅かに綻びができた。


「十六夜、無茶をするな。結界は私に任せろと言ったはずだぞ」


「だが息吹が………、息吹…?」


腕をつくでもなく、ゆらりと上半身だけ起き上がった息吹の動作に背筋に悪寒が走った主さまは、同じように時が止まったかのように動けない百鬼と共に息吹を見つめた。



「阿修羅様、お待ちしておりました」


『この娘、なかなかのものだ。運よくばこのまま我と同化して生きることができるかもしれぬな。よく見れば…舎脂(しゃし)と似ている』


「舎脂様は阿修羅様の娘ですね。阿修羅様、あれに見えるはこの娘を取り戻そうとする妖の群れの主です。どうかお力を」


『全てを灰燼に課した後、我は舎脂を凌辱して辱めた帝釈天を打ち滅ぼして我を追放した天界へと戻る。我の悲願はそれで全て達成されるのだ』



――空海と息吹…いや、阿修羅の会話は恐るべきものだった。


息吹に憑依したのは闘争的で悪鬼とも称される阿修羅。

かつて天界に棲む善神だったが、帝釈天に娘の舎脂を攫われて凌辱されて、果てには無理矢理妻として阿修羅の元から連れ去ったことに昔年の恨みを募り募らせていた男だ。

その力は紛うことなき暴虐なもので、六道のひとつである阿修羅道の主とも言われて常に力を振るい続けてきた阿修羅が息吹に憑依してしまい、こちらに顔を向けた息吹の唇は禍々しく口角を上げて笑い、いつもの無邪気で可愛い笑顔を見せる息吹ではない。


「阿修羅…だと…!?」


「悪鬼の主だな。だが十六夜、そなたとて妖の主ではないか。束となってかかればきっと息吹の身体から阿修羅を追い出すことができるはずだ」


「だがどうやって!?俺は絶対息吹を傷つけはしない。絶対にいやだ!」


息吹がゆらりと立ち上がった。

真っ白な浴衣の胸元を緩めて妖艶な雰囲気を醸し出す息吹は、絶対にいつもの息吹ではない。


「息吹…」


『そなたを殺す』


息吹の声で返ってきた言葉に胸が締め付けられた。