主さまが屋敷に戻ると、山姫は奥の部屋で息吹が小さかった頃着ていた着物を畳み直していた。


毎日花に水を遣り、着物を畳む。

これが山姫の日常。


「お帰りなさいまし。どこへお出かけに?」


「ちょっとこっちに来い」


息吹が居なくなってから滅多に笑わなくなった主さまが微笑しているように見えて、

気の強そうな美貌に疑問の色を浮かべながら庭に下りて池の前に立った。


すると主さまが手を翳し、水紋が広がって行き…

浮かび上がったのは、目元が少し垂れていてなおかつ大きな黒瞳の、とびきりの可愛らしい女だった。


「これが息吹だ。さっき少し見て来た」


「え…!?これが息吹!?会ってきたってどういうことですか!?」


妖の頂点に立つ主さまの着物の胸元を握ってゆさゆさと揺さぶると、水面に写る息吹を見つめながら主さまが肩で息をついた。


「晴明から煽られた。“息吹が今日、外に出るぞ”と式神をよこしてきたんだ」


「どうして私に教えてくれなかったんです!?ああ…こんなに可愛らしくなって…!」


隣に写りこんでいる晴明と何か会話を交わしていて、そしてさらに右隣には見知らぬ男が頬を赤く染めて息吹の気を引こうとしている。


「主さま…この男は?」


「藤原道長だ。…息吹に惚れていたようだった」


――主さまが鼻を鳴らして小石を投げ込むと息吹の姿は消えて、山姫が猛抗議をした。


「何をするんですか!」


「近いうちに晴明がここへ来る。俺は…息吹を取り戻す」


――奪取宣言。


息吹がここに戻ってくれば、皆が活気づくだろう。

雪男も黙ってはいたが、時々一緒になって息吹の着物を畳んでくれることもある。

…皆、寂しい想いをしているのだ。

主さまだけではない。


「主さま、それは?」


「息吹が店でこれを見つけて懐かしんで買っていた。…お前が買い与えた髪紐だろう?息吹は…俺たちのことを忘れていない」


ほろりと涙が零れた。


息吹を我が子のように育てて愛した10年間…

あの子は、それを忘れずにいてくれている。


「息吹…っ」


そっと肩を抱いてやって、想いを共有した。