主さまの気まぐれ-百鬼夜行の王-【完】

着物が濡れたまま赤子を抱いて離さない息吹の手を取ったのは、山姫だった。


「その子も風邪引いちまうよ、着替えといで。それまであたしが預かっておいてあげるから」


「母様…、はい、お願いします…」


名残惜しそうに赤子を山姫に渡すと、それまで大人しかった赤子が火がついたかのように泣き出した。

それを見た息吹は何度も何度も振り返りながら部屋へと消えて行き、主さまはすでに赤子に関心がなく、部屋の方をじっと見つめながら首を捻った。


「機嫌が悪くなったようだが…どうしたんだ?」


「この朴念仁め。あの子は…己の出生とこの赤子を重ね合わせている。橋に捨てられ、妖に食われる運命を目の当たりにし、思い出してしまったのだろう。…また己も捨てられたということを」


「…息吹…」


晴明に諭されてようやく息吹の異変の理由がわかった主さまは部屋に向かい、雪男から腕を取られて引き留められた。


「どこ行くんだよ。今息吹が着替えて…」


「あれが着替えようが何をしていようが関係ない。あれは俺のものだぞ…口出しをするな」


直接殺気を叩きつけられた雪男は身体が硬直して動けなくなり、主さまは目もくれず屋敷内へと入って行く。


山姫はまだ泣き叫んでいる赤子をあやしてやりながら紅葉のような小さな手を握った。


「不憫な子だよ。この子の親御を探して、心の奥底に空いている穴を塞ごうとしてるんだ。晴明、そうだろ?」


「ああ、そうだ。それどれ、私にも抱かせてもらおうか」


――今度は山姫から赤子を受け取って“高い高い”をしても泣き止まず、3人が赤子を泣き止ませようと必死になっていた時、主さまは息吹の部屋の襖を少しだけ開け、中を覗いた。


「…息吹」


「…さっき主さまが“美味しそう”って言った。あの子は…食べ物なの?」


まだ着替えておらず、正座して拳を握りしめていた息吹の前に座ると、強張っている手を握り、撫でてやった。


「妖は皆がそう思うはずだ。お前とて最初は…俺の食い物として育てた。だが俺は食ったりしない。皆にもそう重々伝えておく。…“美味そうだ”と言ってすまなかった」


そう言うとようやく拳が開き、小さく笑った。