主さまの気まぐれ-百鬼夜行の王-【完】

鬼八はほとんどといっていいほど触れてこない。

2人の間にはまだ魂の絆しかなく、正式な夫婦ではなかった。


――鬼八が躊躇しているのだ。

鵜目姫を妻にすると決めたものの…本当にそれでよかったのか、と鬼八が躊躇しているのだ。


『鬼八様…一緒に温泉へ行きませんか?』


『え?いや…俺はいいよ。あなたこそ入っておいで、とても気持ちいいし、それに…の、覗いたりしないから』


『ふふ、あなたと私は夫婦になるのですから覗いても構いませんよ』


『う、鵜目姫…』


どちらかというと鵜目姫の方が押しの一手で、鬼八が用意してくれた浴衣と手拭いを手に小さな家を出た。


…この洞窟は完璧に目くらましの術が効いている。

よって、一生をかけても華月や三毛入野命たちから見つかることはないだろう。


だが、そんな生活でいいのか?

華月は一生を賭けて刃を手に向かってくるかもしれない。

やはり…

いつも傍に居てくれたあの幼馴染をこの手にかけるしかないのだろうか?


『きゃ…っ!』


――思い悩んでいると鵜目姫の小さな悲鳴が聴こえて慌てて家から飛び出ると奥にある天然の小さな温泉にたどり着いた。


鵜目姫はこちらに背を向けて身体を震わせていた。


『鵜目姫!?』


『き、鬼八様!私の、私の背中に…!』


…よく見ると、真っ白な鵜目姫の肩甲骨のあたりに草色の小さな蜥蜴が張り付いていた。

そういえば花はよく愛でるのに、土中から虫が出て来るといつも悲鳴を上げて逃げていたのを思い出してつい笑うと…怒られた。


『鬼八様、笑わないで下さい!は、早く取って下さい…!』


『うん、ごめん。はい、取ったよ』


しゃがんで背中の蜥蜴を取って追い払うと、鵜目姫は手拭いで身体を隠しながらふわりと微笑んだ。


…正直これ以上一緒に居ると理性を飛ばされそうになりそうなので、悟られないようにゆっくり立ち上がると背を向けて手を振った。


『ゆっくり入ってていいよ。後で俺も入るから』


『じゃあ一緒に…』


鵜目姫からの誘いは耳に届いていたが、聴こえていないふりをして足早に立ち去った。