主さまの気まぐれ-百鬼夜行の王-【完】

そう簡単に許してくれるとはもちろん思っていなかった。


…逃げ出したくせにこうやってのこのこ戻って来て、主さまは今も顔を背けたままこっちを見てくれない。


だけどこの腕のあたたかさ…感触…主さまの匂い…

本当に主さまは…“十六夜”だったのだ。


「主さま…また明日来るね。ずっとずっとここに通うから。主さまが許してくれるまで…」


「…もう来るなと言ったぞ」


「主さまがまた前みたいに話しかけてくれるまで私…めげないから。じゃあ…またね、十六夜さん」


本当の名…“十六夜”と呼ばれるとどうしようもなく喜びを感じてしまい、頬が熱くなるのを感じながらも離れてゆく息吹の顔を一切見なかった。


――息吹はそんな主さまの背中を見つめながら襖を閉めて…そして振り返った時には百鬼たちに囲まれていた。


「息吹!またここに住むんだろ!?」


「俺たちがまた毎日遊んでやるぞ、幽玄町で一緒に暮らそう!」


そう言ってくれるのはとても嬉しくて、まだ涙ぐんでいる山姫が騒々しい百鬼たちを退けて息吹の手を引いて座らせると、擦り剝けて血が出ている脚の裏の傷に軟膏や薬草を塗りつけた。


「息吹…せっかく会えたと思ったのに戻っちまうんだね…」


――赤茶色の珍しい髪の色をした美人の育て親――

今にも泣きそうな顔をしていて、山姫の手をきゅっと握ると首を振った。


「私、父様の屋敷から毎日ここに通うから。昼間になっちゃうけど…母様、沢山お話してくれる?みんなも私を許してくれる?」


「!当たり前じゃないか!あんたは私の娘なんだからいつだって来たっていいんだよ!主さまはいじけてるだけなんだから気にするんじゃないよ!」


「ありがとう…。あ、父様」


――百鬼たちに囲まれて身動きひとつできなくなっていた時、ふっと誰かが笑った気配がして振り向くと、今までとても大切に育ててくれた安部晴明が立っていた。


「息吹…」


「勝手に屋敷を抜け出してごめんなさい」


「…もう戻って来ないのかと思っていたよ」


「いいえ、父様は私の父様ですから。どうして?」


「…いや、では戻ろうか」


主さまは、出て来なかった。