「なぁ夏海」
笑いが一通り落ち着いたところで、克彦は穏やかに切り出した。
「前に父さんが言ったこと、忘れてくれないか」
「豊浜一の秀才だったってこと?」
彼女は父が何を言いたいのかはわかっているのだろうが、わざと冗談交じりに訊いてきた。
「ああ、それも忘れてくれ」
まるで外国人のように克彦は手を広げて肩をすくめると、「似合わなーい」と夏海はまた笑った。
この時期の女の子は、箸が転がってもおかしくて笑うものだ。
彼は娘の笑いが収まるまで待ち、もう一度改まって言った。
「もし気が変わって大学に行きたくなったら、遠慮せずに言えよ」
亡くなった母親そっくりの目が真剣味を帯びて克彦に向けられた。
「おまえひとりくらい大学に通わせる金はある。なんだったら大学院行って、海外留学しても大丈夫なくらいだ」
「……」
「話はそれだけだ。風呂あいたから、さっさと入れよ」
「…うん」
静かにドアを閉めると、克彦は大きく息をついた。
ちゃんと気持ちは伝わったのだろうか。
やはり男親は娘に対してうまく本心が言えない。
母親が生きていてくれたなら、うまくこの気持ちを夏海に伝えてくれてただろうに…
彼は再び冷たい廊下を渡り、自室へと入っていった。


