「ああ、そうだったな、豊浜ね、豊浜」
何度も頷くと、山下は突然顔を夏海に近付けてきた。
「もったいないぞ」
「は?」
「こんなに成績がいいのに、もったいない」
「はぁ…」
山下の息遣いを感じるほどの距離に、彼女はさり気なく身を引いた。
「それにおまえ、2年からは理系クラスを希望してるじゃないか」
それがなんなのよ、と心の中で舌打ちをする。
「せっかく理系に入るんだから、それなりのところを目指してみたらどうだ」
「それなりのところ?」
「たとえば女子では薬学部が人気だぞ。一生もんの資格だ。結婚しても、子どもが生まれても働ける」
「はぁ」
気のない返事の夏海に、山下は続ける。
「じゃあ工学部か?最近は多いんだぞ、女子でもエンジニア目指すやつが」
のけぞる夏海に山下はどんどん迫ってくる。
彼の息から漂う煙草の匂いが鼻腔をついて、胸が悪くなった。
「なぁ佐々倉。理系クラスに入りたくても、入れないやつだっているんだ」
それは知っている。
1年時の成績が芳しくない者は、人数の都合上、理系を希望しても入れないことがある。
山下のその言い方からは、進学を希望しないくせに無駄に理系クラスの定員を食いつぶすなよ、という嫌味めいたものが感じられた。
「先生、私は理系クラスに入っても今まで通り、しっかり勉強するつもりです。進学しないからといって、手を抜いたりはしません」
「だったら…」とそれでも山下は食い下がる。
「私は家を離れることはしたくないんです」
低いが芯の通った強い口調で夏海は言った。
一番近い大学でも、豊浜から通うことは距離的に無理だ。
そうなれば必然的に家を出て下宿、ということになる。


