「だけど、お互い別々の道を進むことが、一番幸せなんだってわかったから」
「別れちゃったんですか」
「まあね。でも今のほうが彼女を深く想ってるし、理解している気がするんだ」
「今でも好きってことですか?別れたのに?」
信太郎がよほど驚いた顔をしていたのだろう、加瀬は吹き出した。
「そんなに笑わなくても。聞いてみただけなのに」と信太郎は口をとがらせた。
やっぱりガキだって思われてるんだ、そう感じた。
「ごめん、ごめん」と加瀬はコーヒーを飲むと咳払いをして「そうなんだ、今でも好きなんだ」と答えた。
ふぅん、と頷くしか信太郎にはできなかった。
きっと加瀬なりの苦悩の「結果」なのだろう。
「で、天宮。君はどうなんだ?」
加瀬が気を取り直したように訊いていた。
その問いかけは興味本意というものからはほど遠い、まるで何もかもすべてを包み込むような穏やかなものだった。
信太郎はふと思った。
この加瀬という男をここまで夢中にさせ、別れた女性とは一体どんな人なんだろう、と。
男の自分から見ても、魅力的な男性であることには違いない。
そんなことをあれこれと考えていると、答えたくないのかと思ったのか、加瀬は申し訳なさそうに「余計な詮索だったね」と頭を軽く下げた。
「違うんです、今日ここにうかがったのは…実はそのことで…」
再びいいあぐねる信太郎。
「彼女のことか」
またしても加瀬は優しい声だった。
下唇をかみしめ、うつむいた信太郎が話し始めるまで彼はじっと待っていてくれた。
急かすようなこともなく、ただただ静かに待っていた。
遠くで電車が鉄橋を渡る音がここまで届く。
風が木々の葉を揺らす音を運んでくる。
踏切の音、下校途中の小学生のはしゃぎ声、自転車のベル…
いろんな音がこの世には溢れかえっている。
それはみんな「生きてる」から。
信太郎はぽつりとつぶやいた。
「あいつは死にました」
加瀬は何も言わなかった。
何も言わない代わりに、信太郎を柔らかな瞳で見つめた。
「刑務所にいる時、病気のあいつから何通も何通も手紙が来ていたのに、俺は一切読みませんでした」
膝の上で作った握りこぶしの血管が浮き上がる。


