どれくらい信太郎は目を閉じ、うつむいていただろう。
どれくらい綾乃は信太郎の腕をつかんだまま、彼の言葉を待っていただろう。
空でカモメが短く哭いたのを合図に、「綾乃、ごめん」と信太郎は腕をつかむ彼女の手をそっと外した。
彼女もうつむいていて、表情まではわからない。
艶やかな髪が風に舞い、整った顔を隠す。
「俺にはナツしかいない、ナツ以上にしか好きになれる人はいない、そう言えば君は楽になるのかもしれない。だけど…」
ごくりと信太郎の喉が鳴った。
「だけど、そんなこと言えそうにないよ」
どうして、と消え入りそうなか細い声が返ってきた。
すると彼はゆっくりと首を横に振りながら、こう答えた。
「今の俺には、ナツをずっと想い続ける自信も気力も、ましてやその資格もないから」
カモメがまた空で短く哀しく哭いた。


