「あら、これは失礼しました。でもよく勉強がおできになるのね。将来はお医者さまだわね。夏海さんも安心だわね。彼がいつでも診てくれるもの」
こんな千鶴を誰も責めることなどできない。
夏海の「本当の恋人」が図らずも人の命を奪ってしまったと、誰が思うだろうか。
かわいらしいシワだらけの笑顔に、雅樹も夏海もつられるように穏やかな笑みを浮かべた。
小一時間ほど夏海と話をした後、雅樹は病室を出た。
克彦から彼女の病状について、だいたい聞いていた。
受話器の向こうの克彦のかすれた声が、泣き明かしたことを物語っていた。
考えた末に、夏海にはガンだということを告知しないという。
知らずにいた方が彼女のためだ、と克彦は言ったのだ。
だが雅樹はそうは思わない。
夏海には知る権利がある。
残された命が限られているのであれば、なおさら一日一日の大切さを感じるべきだ。
それに夏海は勘がいい。
克彦に電話をもらった翌日、どうしても雅樹は夏海を見舞うことができなかった。
きっと自分のほうが泣いてしまう、そう思ったからだ。
次の日、平静を装って病室に行くと「元気ないね、何かあった?」と寂しそうに彼女は言ったくらいなのだ。
そんな夏海が気付かないわけがない。
ただでさえ、自分たちが何かを隠していることすら察知しているというのに…
そんなことを考えながら、ナースステーションの前にさしかかった時、すれ違った若い女性がふと気になって思わず振り返った。
小柄だが、はっとするほどに美しい人。
どこかで会った気がする、どこだったかな、とその女性の後ろ姿にしばし思いを巡らせるも、とうとうわからずじまいだった。
その女性は奇しくも夏海のいる病室へと入っていく。
首を小さく傾げながらも、雅樹は手元の時計を見て、慌ててその場を後にした。


