「愛してる」、その続きを君に


この田舎の港町に、学歴という概念もなければ、大学進学という執着もない。


高校を卒業したら、地元の企業に就職か、親の跡を継ぐ、だいたいそういう人生のレールが若者たちの前に敷かれていた。


この小さな街は、時代の流れにのりおくれている風潮が少なからずあった。。


佐々倉夏海、天宮信太郎、辻本雅樹は、そんな小さな港町、「豊浜(トヨハマ)」で育った。


海に突き出た半島の先っぽ、それがこの町。


三方向を海に囲まれ、小高い丘から見渡せば常に穏やかな蒼が見える。


町の東側には整備された港があり、大きな船が木材を積み下ろしによく停泊していた。


それに付属するように木材加工の工場が連なる。


一方、町の西側はきれいな砂浜が弧を描き、夏は海水浴を楽しむ観光客でにぎわう。


この辺りは平地が少ないため、家々が丘を駆け上がるように建っているのが特徴だ。


潮の影響で、漁場にも恵まれ漁業に携わる人間も西側には多い。


夏海、信太郎、雅樹の父親は東町のF木材工場に勤めており、大きな一軒家に住む雅樹以外の家族はその会社の社宅に住んでいた。


雅樹の父は工場長だ。


海辺に洋風の一軒家を会社から用意され、父、母、妹と四人で住んでいる。


小学校の全児童数が60人といった小さな田舎の港町だ、この三人が仲良くなるのは自然のなりゆきと言えよう。


子どもの成長とともに社宅が手狭になりだした頃、佐々倉家と天宮家はそれぞれに家を建てた。


信太郎の家は丘の上にあり、丸太つくりのまるでログハウスを思わせるような佇まいに、父母、姉とともに賑やかな日々を送っていた。


夏海の家は…彼女の思い描いていた家とは全く違っていた。


母親のいなかった彼女は父と祖母の三人暮らし。


二階建ての部屋から大きな庭を見下ろして飼い犬の名を呼ぶ、それが夏海の夢だったのに、祖母の足腰の衰えを考慮してか、彼女の父は、平屋の小さな日本家屋を購入した。