桜が咲くのを待たずして、夏海は豊浜町役場に働きにで、雅樹は県外のW大医学部に進学し、信太郎は予備校に通い始めた。
毎日のように顔を合わせていただけに、彼らは一様に新しい生活の中で物足りなさを感じていた。
しかし、もう「あの頃」には戻れないのだ。
前を向いて歩いていくしかないのだ。
夏海は役場でも人気者だった。
年配者が多い職員の中で、彼女の若さは大きな戦力となる。
もちろん重たい荷物は夏海が運び、裏山の崖が崩れそうだと一報が入ればヘルメットをかぶって自転車で現場に業者と急行する。
いわゆる「なんでも屋」的存在だった。
また町役場を訪れた豊浜の人も、若者が珍しいのか、何かしら言葉をかけて帰っていく。
この間は顔を真っ赤にしたクリーニング屋の女主人が離婚届をくれ、と窓口にやってきた。
「どうしたの、おばさん」
夏海が心配そうに訊ねると、ちょっと聞いてよ!と彼女は30分以上にわたって夫の悪口をまくしたてた。
「大変だったね。でもおじさんがそう言うのは、信頼してるおばさんだからじゃない?他の人には言わないよ、絶対」
話を聞き終えた夏海がそう言うと、
「ほんとやんなっちゃう、あのバカ亭主!なっちゃんも男を見る目を今から養っておかなきゃだめよ!」と言って、離婚届の用紙を受け取らずに帰っていったのだった。
「佐々倉さん、すごいね、夫婦の危機を救ったね」
などと、先輩職員にからかわれながらも、夏海は少しずつ役場の仕事に慣れていった。


