「光」と、耳許で声がした。
首に当てられていた指は外され、腕が首に回された。優しく、壊れ物を扱うかのようにそっと、そっと抱き締められる。
「ほんまは言うたらあかんのんやけど」
耳に感じる僅かな吐息に目眩がした。
膝から力が抜けて声を上げそうになる。低く艶のある声音に、光の身体の中で何かが動いた。
ぞくりと肌が粟立つ。
「…………俺と逃げる?」
光だけがやっと聞こえるくらいの小さな声量で、山崎はとんでもないことを口走った。普段の山崎からは信じられないことを――。
(逃げる?)
光は胸の内でその言葉を反芻する。
何から逃げるのだろうか。
鬼の法度がある屯所から?
芹沢らの暗殺があるという事実から?
安寧など無い危険極まりない世界から?
思わず、口から乾いた笑いが零れた。
「……無理だよ。烝も分かってるだろ」
「……確かに。阿呆なこと言うてもうた」
鼻で自身を笑った山崎は、首を数往復ほど横に振ると、諦めたように小さな溜め息交じりの呟きを漏らす。
「――逃げられへんけど、な。
ずっと側に居ったる」



