「キッカさん」
 
声が震えた。足が止まってしまう。

いやだ、この先に行きたくないとこころが拒絶する。
 

振り返った彼の顔に、頬笑みはなかった。

むしろわたしの顔を見て察したのだろう。

「行くよ」とだけ言い残し、走るようにのぼりだす。
 

行きたくない。

だけどここでそれを選択したら、わたしは二度と顔を見れないだろう。

彼の顔をじゃない。自分の顔をだ。

自己を拒否して生きて、さらにそれまで拒絶するのか。

そうしたらもう、わたしは、わたしは。
 

なんとか足を動かして、階段をのぼる。

濃くなる匂い。頭が痛い。
 

廊下を曲がった背中を見て、それに続く。

もう、ここまで来たら引き返したくない。

キッカは端の部屋の前で立ち止まって、問答無用でロックを解除していた。


「ナギ!」
 
その声が遠い。

遅れて部屋の前に辿りつくと、むせかえるような血の匂いが充満していた。

そして聞こえてくる水の音。