Hamal -夜明け前のゆくえ-



「壱佳はいい子だもの。ずっといい子でいられるわよね? ね、壱佳」

「うん……」


僕の手をぎゅっと握ってくる母さんが恐れているのは、“外に漏れる”こと。


旦那の酒癖の悪さよりも、今の生活を保てなくなってしまうことをなによりも恐れている。


「壱佳。……ねえ、壱佳? お母さんも我慢するから、もう少しだけ壱佳も我慢してね?」


母さんはなにを我慢しているんだろう。


もう少しって繰り返して、2年経ったじゃないか。


そういつものように思ったけれど、必死な母さんの目を見ていると胸の奥底に沈んでいく。


「そうだ、壱佳。ねえ、欲しいものある? 仕事帰りに買ってきてあげる」

「……いいよ、別に。とくにない」

「遠慮しなくていいのよ。年頃だもの、なにかあるでしょう? 食べたいものでもいいのよ?」


――壱佳。ねえ、壱佳。


連呼される自分の名前が、媚びるような笑顔と一緒にぐるぐると頭の中でまわっている。


気持ち悪い。


いちかって、誰。


僕の名前は本当に、そんな名前だった? そんな風に、そんな表情で、呼ばれるような名前なの?



「壱佳、」

「っじゃあ、パーカー!」

「……パーカー? ……そうね、服ね。靴は? 小さくなってきたんじゃない?」

「大丈夫だから。まだ、履けるから。自分のでも買いなよ」

「そう? そう、ね。じゃあ壱佳のパーカーと一緒に買ってくるわね」


ふふっと楽しそうに笑った母さんに、笑い返せたかはわからない。早くこの状況を変えたかったから、時計を見る素振りをして仕事へ行くように促す。