「ただいま」
なんとか靴を脱ぎ終えた僕は小さな声で言い、男の横を通り抜ける。けれどすぐに手首を掴まれ、びくりと肩が動いた。
「その、どうした……? それ」
男が気にしているのは負わせた傷だった。僕はそれを隠すようにして前髪に触れ、整える。
「……自分で。コンビニ……で、買った……」
「そうか」
安堵を隠さないこの男はいつものように言うんだろう。
「昨日は悪かった」
眉を下げ、申し訳なさそうに。
「だいぶ悪酔いしたみたいで……」
ごめんな。と繰り返される謝罪と言い訳は、ぜんまい式のオルゴールみたいだ。
「じゃあ、いってきます」
僕はいつか、この人を『お父さん』と呼べる日がくるのだろうか。
「いってらっしゃい」
母さんの見送る声を最後にドアが閉まる。
僕はすぐに台所に向かい手を洗う。指にこびり付いていた血を、やっと洗い流せた。
……お酒くさい。
シンクに置かれた無数の空きビンや空き缶、コップから放たれている臭いから逃れるように居間へ入れば、待ってましたと言わんばかりに母さんが僕を見上げてくる。
化粧の途中だったのか、いつもふわりと巻かれている栗色の髪をひとくくりに結っていた。
「壱佳」
差し出された白く細い手を少しためらってから取ると、引き寄せられる。
「壱佳は頭がいいから、わかるわよね?」
同じ目線になった僕を、すがるように見る母さんの瞳。



