「でも僕、自分の名前自体が嫌いなわけじゃないんだよ」
だからこそ、なんの曇りもなく名前を呼ばれてみたかった。
「壱佳って呼ばれたあと、いいことは起きないから。気分が沈むようになっちゃって……」
「だからクロにチカって名乗ったのか?」
「うーん……僕、最初は正直に名乗ろうって決めてたのね。でもためらった。いざ名前を訊かれたら、いいことは起きないって怖気ついた自分がいて……だけど、怖くなったからチカって名乗ったんじゃない」
嘘をついたことに変わりはないんだから、大層なことは言えないけれど。
「クロは必ず医者を紹介してくれるって信じてたから、全部適当な偽名を名乗るのはフェアじゃないと思ったし、クロを騙して逃げることになると思った。でもバカ正直に本名を名乗るのは危険だとも思ったから、チカって名乗ったんだ」
クロは今も苦手だ。でも、だからって避けたり、なめてかかることはしたくなかった。
「やっぱ挑戦状叩きつけたようなもんじゃねえか。紫堂チカなんて1文字削っただけなんだから、すぐバレるぞ。それとも、答えを教えたようなもんなんだから、あとは自力で当ててみやがれって挑発か」
祠稀って喧嘩っ早いよね、絶対。
でも言われてみると、やっぱりそうだったのかもしれない。
「挑発したつもりはないけど、ちょっとだけ、どきどきしてる。楽しいんじゃなくて……なんだろ、バレたときの不安より、クロなら探し当てるって期待?してるのかも」
「なんだそのふわっとした回答」
だって自分でもよくわからないんだもん。
でもこれが、小さな変化なんじゃないかって思う。



