Hamal -夜明け前のゆくえ-



「適当な偽名も考えたけど、それは嫌だったんだ」

「で、紫堂チカ? 1文字減っただけじゃねえか」

「……なんか嘘くさいって言われたから、もう疑ってるだろうね」

「挑戦状叩きつけられたかもって喜んでたぞ」

「そんなつもりじゃ……僕が嘘ついたってバレても、クロならそんな怖いことしてこないかなって思っただけで」


クロってなんか、同世代には甘いっていうか。じゃれてる感じがするのは気のせいじゃない。と、いいな……。


「お前はそれでいいわけ?」


視線をよこした祠稀と目が合う。


……嘘ついたってバレても? それで、なにをされても?


「よくはないけど、そのときはそのとき? なんとか凌ごうっては思ってるよ」

「俺が言えた義理じゃねえけど、もっとちゃんと考えろ」


歩きながら強めに言う祠稀を、じっと見つめた。


また、心配してくれてる。心配されてるんだ、僕。


それだけで、もう。


――ふっと目を伏せた僕は、口元だけが微笑んでいた。


「祠稀は自分の名前をクソだって言ってたのに、どうして祠稀って名乗るの?」

「は? ……意味なんかねえよ。クソでも嫌でもそれが俺の名前だ」

「じゃあなんで僕には、捨てればなんて言ったの?」

「俺に名乗ったとき、お前すげえ居心地悪そうな顔してたから」

「あはっ……そんな顔してたんだ」


そうだよね。僕を壱佳って呼ぶのは、母さんと義父だけ。


その事実は僕にとって、枷だった。


家というの名の暗い箱で振り被られる拳。向けられる偽りの笑顔。演技で生まれる優しさ。


『壱佳』


そう呼ばれるたびに今日はなにに繋がるのだろうと、心が暗闇に浸かる。