パトカーの赤い警光灯が、歓楽街の煌びやかな装飾をものともせず、くるりくるりと建物の表面を回っているのを見た。


赤色は好きになれない。


とても目立つし、血や傷の色だし、くすんでも燃えるような高ぶりは少しも冷めない、そんな色だから。


いつだかどこかで読んだ本には、赤い旗は革命のシンボルだと書かれていた。


火の色。血の色。命の灯みたいな色。


そんな色を掲げなければ、人は戦えないのかもしれない。


だけどもしそれが誰かをなにかを守るための戦いなら、赤色は救いの色で癒しの色にもなるのかなって、ちょっとだけ、思う。


たとえば紅葉を見て綺麗ねと微笑み合う老夫婦がいたように。


募金したしるしに赤い羽根を胸につける小学生がいたように。


雲が夕日を浴びて茜色に照り映えるのを待っている僕はいつか、朝日が昇り始めても笑っていられるかもしれない。


赤く染まった脱脂綿が次々とゴミ箱に捨てられていく光景には、泣いてしまったけれど。


赤黒い擦過傷や打撲傷をいくつも見つけながら、強くなろうと誓った。


祠稀が負った傷や流した血が、誰かをなにかを守れた証になるなら僕は、怒りながらも手当てをしてあげてもいい、って。


誰より近くで祠稀のこと支えていきたいって、こっそり思ったんだ。