奏が弾いたのはバッハの「主よ人の望みの喜びよ」という至ってメジャーな曲だった。
弾き終わった後、奏がむすっと口をへの字に曲げて言う。
「だから下手だって言ったじゃん」
「謙遜かと思ったんだよ」
今思えば、こいつがそんな謙虚なことをするわけがなかった。
「習ってたのか?」
「小1から中2まで。でも全然で辞めちゃった」
小1から中2までというとかなり長い期間だがそれでもこれだということはなるほど、才能には恵まれなかったらしい。
頭の中の楽譜をめくり、俺は採点をするような気分で評価を付ける。
「とにかくテンポが急に遅くなったり速くなったり落ち着かない。それとこの曲は一見簡単に見えるけど、しっかり感情を込めることも考えて弾くとかなり難しいんだ」
それから、と開きかけた口を奏が途中で制する。
「あーあーあー、もういい!下手だって知ってるってば!」
やっと優位に立てると思ったのに。


