いつもの笑顔はそこにはなくて。

ただその視線だけを通して、早くピアノに向かえと指示していた。


それでも俺はそこを動けない。

説明してくれと叫びたかった。
今ここでそれを叫んでも許されるだろうかと考えさえした。


口をぽかんと開けたまま演奏を始める気配の無い俺にホールがざわつく。

あぁこんなことじゃいけない、母さんも見に来ているのに。

でもどうしろっていうんだ、こんな事態想像すらできなかった。


硬直した俺の目の前が急に明るくなる。
薄暗かったホールに眩い光が差し込む。


「リーチ!!」

俺を在るべき場所へ連れ戻してくれる、力強い声。


「リーチ、聴きに来たよ!」

演奏中に人が入ってこないようドアの横にいたスタッフが、慌てて彼女を止めにかかる。

けれどそれでも彼女の声は止まらなかった。


「アタシ、ちゃんと聴いてるから!だから弾けよ!絶対、ちゃんと弾けよ!!」

「…わかってるっての」

呟いた声は、彼女に伝わっただろうか。