「ち…違う」

「どうして?」

「俺は若菜のためにピアノを続けてきた。だけどいざ若菜を目の前にすると怖くて、恥ずかしくて、正面から向き合うことなんてできなくて…」


たどたどしく言葉を繋げていく俺に、若菜が笑みを浮かべる。

どこか小さい子どもにするような大人びた笑顔だった。


「…前は、そうだったのかもしれないね。だけど今は違うでしょう?
利一は真面目だから、全部背負いこもうとしてるだけ。だから昔の傷が忘れられないだけ」

俺は彼女の何を見ていたのだろう。

自分のことに精一杯で、彼女のためだと思いながらちっとも彼女のことは見ていなくて。


そんなの、離れていって当たり前じゃないか。

「さっき利一は私に言ったよ。好き“だった”って。私もそう。利一が好き“だった”。
もう、前に進もうよ」


俺を抱きしめた腕は想像していたより冷たく、だけど優しかった。

前に進めるのか、俺も。
進んでいいのか、俺が。